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工場の一日

 
 

 9月末までの限定販売、
 「陸乃宝珠」。
 丸ごとマスカットの、
 おいしい和菓子です。





化学繊維メーカーで新人の頃、
私は、ナイロン糸の製造工場で、生産管理のアシスタントをしていました。


工場の一日は、8時20分の体操で始まります。

工場にいることをつい忘れそうな、ポップでかわいい音楽なのですが、
おじさんも若者も、体しっかりフリフリで、全員そろって体操します。

無口でマシン一筋の部長、眼光も指摘も鋭い課長、工場中の尊敬とおそれを集めるお二人も、
このときだけは、ちょっとかわいい、おじさん^^。
一日の始まりは、いつも穏やかです。


新人見習い中の私の午前は、本社からの出荷依頼の調整や、
生産計画通りに進んでいることの確認に追われて、過ぎていきます。
私のいた部署は、40~50代の男性ばかりでしたが、
仕事の合間のちょっとした会話に、いつも笑いがありました。

コスト削減、人員削減に、品質問題対応。
「やってらんねぇなあ・・」と誰かがつぶやくと、
「じゃ、早いが今日は帰るか!」で、笑い声がどっと上がります。
振り返るにそれは、厳しい状況の中、励まし合っていらしたのでしょう。
心優しく、強いかたばかりでした。


午後の前半は、業務教育を受けたり、資料作成をしたりします。
そして14時半になると、ヘルメットを被って現場に出ます。

工場では、ケガや事故にもっとも気をつけなければならないので、
あちこちで「指差し呼称」をします。
例えば、道を渡るときは道を、必ず指差して「よし!」と声を出すのです。

フォークリフトの「武蔵」や「信長」たち
(ホントにそう書いてあったのです・・^^)
を操るおじさんがたに、ご挨拶しながら、



(後ろに名前プレートがついています。無料素材をいただきました。ありがとうございます。)

15時の休憩時間に間に合うよう、各工程を回り、現場休憩室に向かいます。

そこではおじさんがたが、私の分までお茶を用意してくださっています。
きっちり15分間の休憩タイムに、雑談しながら、時にはお菓子もいただきます。
ほっとする、楽しい時間です。

その後、現場からの問題提起や改善依頼などを聞いてメモして帰り、上司に報告します。
過信せず、どんなささいな問題も探し出し、対処すること。
それが、工場勤務の基本姿勢なのです。


ところで、休憩室には、
だれかの温泉土産という、女性のヌード写真の大きなカレンダーが、
正面の、時計の真横に貼られていました。

初めて行ったとき、リーダーのおじさんは、
「こりゃあ、セクハラだなあ」とおっしゃったのですが、
翌日も、その翌日も、彼女はヌードのまま。
目のやり場に困っていると、週明けになって、反対側の壁に
パステルのかわいい子供の妖精が描かれた、カレンダーが貼られていました。

「あんた用はこっちね!」と、リーダーさんが、明るくおっしゃるので、
「そういうものなのか・・」と、妙に納得したのでした**


部署に戻ってからは、終礼まで、
上司の指示でいろいろな人のアシスタントをしながら、生産管理業務全般を覚えます。


規則正しく穏やかで、優しさに満ちていた、工場勤務の日々。
営業に配属されてからの、厳しい修行に耐えることができたのも、
この経験があったから、だと思っています。



*「ナイロンの思い出」はこちらです。
 
 
 
 
***  ***  ***
 
 
珈琲タイム ①
 
いい、においだな~**


 「カズキ、ぼくにもコーヒー♪」
 「大きくなったらね*」


 
・・がーん・・・・・。
 
 
 
 
 

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ナイロンの思い出

 
 
もう10年以上も前のことですが
私は化学繊維メーカーに勤めていました。
 
主にポリエステル、ナイロン、アクリルの糸を生産し、
それを糸のまま、または生地や製品にして販売する会社です。
私はそこで、ニット生地の企画・販売に携わっていました。
 
 
その部署に配属される前、新人の頃に、
1年とちょっとの間、工場勤務をしました。
そこは、ナイロン糸の製造工場でした。
 
たしか、私が産まれる20年以上前から生産を続けている工場で
とっても古いのですが、日本でしか生産できないような難しい、
でも繊細で美しい糸を作っていました。
主に高級ランジェリーやストッキングに使われる糸です。

化学繊維そのものは、水を吸いませんが
(糸の隙間に吸い込ませる工夫を施したものはあります。)
ナイロンには、糸に若干の吸放湿性があり、
また、綿などの天然繊維よりも丈夫で発色が美しいため、
よく使われるのです。
 
 
 
当時は、中国が世界の工場として躍進し、
その脅威と恩恵のはざまで世界中が大きく揺れていた時期で
この工場も、変革の波に揉まれながら、
自信と誇りを、と励ましあって糸を生産し続けていました。
 
 
 
ナイロンは、3階建ての建物を使って作られていました。
まず3階で、原料のナイロンチップを溶かします。
巨大な釜で、です。

これはペレットなのですが、原料はまさにこんな感じです^^。


それを、いわゆるじょうごから、
たくさん穴の開いた口金を通って2階へ落とします。
それを2階で引っ張って、細く細く伸ばし、
1階でも更に細く伸ばして、巨大なボビンに巻き取ります。

こちら はポリエステルの工程を 説明したものですが、
ナイロンも同じようなイメージです。
 *ちょっとマニアックですが「化学せんいe-book」もおすすめです*

 
私はこの工場で、生産管理のアシスタントをしていて、
毎日工場内を回っていました。
何百人もの人たちが、今よりもっと生産性を上げよう、
良い糸を作ろう、と努力されていました。
上司の製造部長は、コンマ数パーセントの
収率(原料から製品になる率)を上げようと、
何時間も引き伸ばしのマシンから離れないような人でした。

糸を巻き取るゴーっという轟音の中、
古い機械の間を、次々と流れてくる
美しいナイロンフィラメントを見ながら、
いつか、この糸を売って歩くんだ・・* と何度も思ったものです。
 
 
 
そして、〇年前の今日、6月1日、
工場勤務を終えた私が受け取った辞令は、
「ポリエステル糸」主体のニット生地の
企画・販売部署へ、というものでした。 あらら・・。
 
今はどこも即戦力と言われていますが、
当時は、おおらかといいますか、
幅広く繊維のことを知ってほしい、という会社の方針があって、
このあとも、様々な分野を勉強させてもらいました。
 
 
しんどいことも、楽しいこともたくさん。
今でも忘れられない、大切な思い出です。
 
 
 
*「工場の一日」(2012.7.20)はこちらです*
 
 
 
 
***  ***  ***
 
 
あのー、カズキさん。
 


「あそこの、筋トレ中のヒトたちが、
ワタシのこと、モリゾーって呼ぶんですけど・・・^^;」
早く仕上げていただけると ありがたいですねぇ・・。
 
 
- わかりました~^^;☆
 
 
 
 
***  ***  ***
 
 


「人生って、しんどいよね・・」
「だな。・・・おっ、ヒツジ雲だ!」

「・・ほんとだ。かわいい・・*」  
 
 
 
 
 

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