「村上さんのところ」と
   村上春樹さんのこと

 
 
村上春樹さんが、読者からの質問に答えるサイト
村上さんのところ』が、
5月13日(水)14時までの期間限定で公開されています。
(質問は1月末締切、回答は4月末終了です。)
村上さんの、穏やかな 愛ある回答を、
毎日少しずつ、楽しみに読ませてもらっています*
 
 
実は私は、村上春樹さんの文章は好きですが、小説は読めません。
学生時代に『ノルウェイの森』を読んで、
その すりガラスで隔てられたような虚無感は受け入れられない・・と感じたのです。
みんながとてもいいというので、どこかに入り込めるところがないかと
『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も
読んでみましたが、無理でした。
 
それからも、気持ちの奥で気になり続けていて、
20代の終わりに もう一度『ノルウェイの森』を読み返したのですが、
感じかたは変わりませんでした。
 
たぶん、主人公の人との関わりかたが、苦しかったのだと思います。
 
私は、人との深いかかわりを求めてしまう自分が、
そのままでは 時代の雰囲気、周りの空気と合わないことは分かっていて、
出さないようにして、なんとかうまくやっていたつもりでした。
でも、あの 社会現象になるほどの受け入れられかた・・。
かすかに求めることも 無理な願いなのかと感じて
息苦しくなってしまったのだと思います。
 
 
でも、小説以外はとても好きです。
優しい文体に合う温かいまなざしが途切れる心配がないからです。
(小説は、最後にふっと消えてしまいますよね。)
本来の村上さんはこっちの人なのかな、とか、
小説で重苦しいところを出し切っているからなのかな、とか
色々なことを考えながら、その時どきに惹かれたものを読んできました。
 
 
そして1年ほど前、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』でやっと、
探していた答えの 手掛かりに触れたような気がしました。
 

平成8年、20年近く前の刊行です。
 
コミットメント(関わり)とデタッチメント(関わりのなさ)に触れた章で
デタッチメントからストーリー・テリングへ、そしてコミットメントへと
段階的に移ってきたのだと書かれているのです。
そして、下のようにも 書かれています。
 
「コミットメントというのは何かというと、
人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、
『あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう』というのではなくて、
『井戸』を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、
というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです。(84ページ)
 
関わりのなさ、は、関わりの否定ではなかったのでした。
そして、受け入れられないながらも 気になり続けてきた理由が
少し分かったような気がしました。
 
 
ただ、理解を深めようとすると まだ障害があります。
『ねじまき鳥クロニクル』です。
本によると、ここに井戸を掘る話があるそうで、
そのことがコミットメントについての理解にも繋がっていくようなのですが
私は残酷な描写が本当に苦手で、
必然性があるといわれても、全く受けつけないのです・・。
 
そういうわけで、
「読めるようになる日」の実現は難しい気がするのですが、
小説の周辺をぐるぐる回りながら、考えを深めていくような、
そんな関わりかたもあっていいのかもしれない、とも 今は思っています。
 
 
 
長い時間を、自分の全てをかけて、深く掘り下げていくような関わり。
私はずっとさびしくて、そういうことを求めて生きてきたけれど、
この先もやっぱり、そうして生きていこうと思います。
 
 
村上春樹さんと同じ時代に生きていられて幸せだな、と思います。
 
 
 
 
 
 

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